2007年12月19日水曜日

アムステルダム

最初に行ったのか何時なのか覚えていませんが、夕刻雨の中を彷徨ったのが記憶に残ってます。駅前のホテルに宿泊したのが最初で最後。日本からオーストリアに行く とき、アムステルダムかフランクフルト経由になります。ウイーン経由も有りますが航空会社の都合で使った事は有りません。乗り継ぎの時間待ちで街に出るこ とも有りましたが宿泊は不要でした。街の雑踏は記憶にあります。せっかくオランダに行ったけど食事は中華だった様な。雨の街を彷徨ったのが数少ない宿泊経 験です。飾り窓を見学に、時間が早かったのか覗いたら脱ぎ始めたので、営業開始かい、と言う感じ。晴れた日に青空の下を観光、アンネ の隠れ家を観たりと、しっかりお上りさんをして満足。ただしオランダの食べ物は全く記憶に無いのが残念です。
あなたまかせの話をひとつ。アムステルダムまで同じフライト行きで、空港で話をしたらこの先も飛行機で移動だよ、と言われてエ~。空港から電車で行けるから心配ないよ、と言われてもヨーロッパで電車に乗ったこと無いし。でもそれしか移動手段が無いんじゃ仕方ないと電車の旅。空港からアムステルダムで乗り換えアイントホーヘンへ、運河沿いに南下、風車が見えました。駅に改札が無いのが不思議、乗務員が車内検札に来ます。乗車券を持ってないと罰則とかで何倍かの料金を払うそうです。日本の自動改札は優れものですね。ただし向こうは国をまたいで走っているのでスイカの採用は難しそうです。
飛行機が遅れて乗り継ぎが出来ず航空会社の斡旋で空港近くのホテルに宿泊。翌日夜のフライトで1日暇つぶしで運河の観光船に乗りました。宿泊費も食事代も航空会社持ちですから料金が高い訳です。荷物は乗り継ぎで出てこないので、宿泊セットを支給されました。大したものは入っていませんでしたが見た目は立派なバックでした。これも航空料金に含まれているんでしょう。

2007年12月18日火曜日

ザルツブルグの食べ物

アメリカの事ばかり書いていたんですが食べ物のバリエーションは欧州の方が多彩な様です。もっとも肝心なフランス、イタリア、には行き損なったので大したことは言えませんが。オーストリアに行くと日本人の好みに合うものが沢山。アインシュペーナー、ウィンナーシュニッツェル、グラーシェ、などなど日本ではウインナコーヒー、トン(牛)カツ、ビーフシチュウが似て異なるものとして食べられます。初めて行ったのが平成1年ですから20年近く前のことです。たまたま新聞に特集記事が載りこれらが紹介されていました。せっかく行くから食べてこようとメモして。シュニッツェルの皿にジャムが付いてきたのにはびっくりです。トンカツにはソースと頭に刷り込まれてますから。でも食べてみると意外に合う、2度びっくりです。気に入ったのはミネラルウオーターに炭酸が入っていること。炭酸水大好きですから。ガス抜きと言わないと何処でもシュワシュワする水が出てきます。スーパーに行くと炭酸水の方が安いのです、その感覚で日本でペリエを買うとびっくりしてしまいます。あちらでは炭酸が標準でジュース(リンゴやオレンジ)も炭酸水で割って飲みます。日本に帰ってから真似してみると美味しくないのです、理由は分かりません。だんだん日本食屋さんも出来てきて日本食もどきが食べられるようになったけど、まだ中華の方が安心して食べれます。中華は中国の方がやってますが日本食は東洋人(多分日本食になじみが薄い)がやってますから、時々おかしなものが出てきます。観光地には違いないけど、都会では無いので期待しすぎないようにしないとです。空港の近くに回転寿司が出来たそうですがソーセージが流れてくるそうです。行ったこと有りません。日本でも名前を聞くのが、ザワークラフト、ザッハトルテ、美味しいなという記憶は有りません。何日か滞在してるとつい日本食屋に行ってしまいます、美味しくないのは承知の上です。やはり日本人。

2007年12月7日金曜日

定年続。続。続。

メールの返事が来ないので、もしやと思いタイトルを変えてもう一度送信。ようやく通じ返事が来ました。タイトルは「迷惑メールじゃ有りません」です。スパムの山にみんな苦労していると思うけど、迷惑フィルターも正しい設定をしなきゃいけないものも有るようだし、です。昔取得したocnのアドレスを使ってますが、今はgmailに転送してます。gmailの迷惑フィルターは良くできてる様で何も設定はしていませんが、スパムは全て迷惑ホルダーに振り分けられます。一応迷惑ホルダーを見てますが、誤動作は無いようです。この作業を世界中でやっているんでしょうが、足したら凄い手間でしょうね。年間で1兆円を越えたりして・・もっともカトリーナの被害額は10兆円を超えているんです。大したこと有るような無いような、金額が大きすぎてイメージが湧きません。

2007年12月6日木曜日

定年、ご苦労様でした

(副)社長をやっていた方が定年で、でもアドバイザーとしてしばらく出社してくれるそうで、なので送別会ではなくご苦労様会をやりました。そのために新幹線に乗って上京。短時間でしたが美味しい焼酎を飲めたし満足です。週末なので混んでるかなと思いましたが思いの外ゆったりと過ごせました。新任の(副)社長が同席で「私も1年半だから」と言ったのが印象に残りました。サラリーマンの社長って自分の意志でなるわけでは無いから、複雑な思いが有るようです。思い出してみると随分ハラハラさせました。結果オーライで済んでますが、数十億円分の設備が使えないかも知れない、なんて心配をです。文句も言わずやりたいようにやらせてくれたことに感謝。

2007年10月5日金曜日

ライブロブスター

昭和64年(平成1年)の2月、米国東部海岸地帯に見学旅行に行きました。久しぶりの海外でしたから随分大荷物で成田からニューヨークへ。それより以前シカゴに行ったときは747の航続距離が足りずにシアトルで休憩・給油でしたから進歩するもんです。途中でオーロラが見えますと言われて窓の外を見たのですが、写真で見るようなカーテン状では無かったのでハッキリ認識は出来ませんでした。欧州から一人この旅に参加、週末ニューヨークへ集合し週初めにラガーディアから飛行機で現地へ。酒好きが一人同行で成田で寝酒のウイスキーを仕入れ私にも買えと依頼。免税は一人2本までだったので。ニューヨークでの宿泊はヒルトン、私の荷物が大きすぎるからと同行の上司からバッグを借りて大荷物はホテルに預けました。ニューヨークに着いた当夜、まず日本食。当時は若かったので「何故?みたいな」感じでしたが、その後の事を考えて食べられる時に日本食、良く理解できます。ローカルな飛行機に乗ったので手荷物を小さくしたのは正解。
メイン州ケネバンクに飛行機が到着。米国人Aが業者訪問をサポートしてくれました。ドライバーは彼で助手席でナビは上司、あのころはカーナビなんて有りませんでした。後部座席に3人乗って珍(?)道中の始まりです。民宿みたいなホテルに宿泊、付属のレストランでメインライブロブスターを食べました。風呂に湯を貼っているときに洗濯ものがバスタブの排水口に詰まって水浸しに。バスタオルで始末しましたが古い建物でバスタブが絨毯に置いてあるんです。後始末大変でしたが誰かを呼ぶのも嫌で・・。ロブスターの事に戻りますが、付け汁は溶かしバターのみ、その後渡米に際してはポン酢を持参するようになりました。近所にブッシュさんの別荘があり記念撮影。4社ほど回って再度ニューヨークへ。鴨、ロブスター、アサリの後で日本食に連れ行ってくれたときはホットしたけど、これが日本食っていう感じで、でも口がバカになっていて寿司は美味でした。
戻ったニューヨークで観光へりコプターに乗りました。国連ビル>中華街で食事>何処かの教会>バーガーキング>貿易センタービル>ホテルまでの帰路地下鉄に乗ろうと言いましたが噂だと怖いのでタクシーで、ロックフェラービルの下のスケートリンクを見ながらステーキを食べたのを覚えてます(私はNYカットを頂きました)。このときバーガーキングでワッパを食べたことは既に書きました。案内しくれた米国人のオフィスを訪問、昼食を近所のレストランで頂きましたけど何を食べたのか覚えていません。同行した米国人に綺麗な日本語だねと褒められた(?)のを記憶してます。自分ではなまっていると思うのですが。
週末を過ごしてから電車でフィラデルフィアへ。フィラデルフィアの駅へ米国人Nが迎えに、日本食を食べさせてくれるレストランを探して彷徨。「meijien(明治園)」という一寸高級なレストランへ川沿いの店で橋の照明が綺麗でした。初めてソフトシェルクラブの唐揚げを食べました。でも日本食では有りませんね。フィラデルフィアではシェラトンに宿泊しレンタカーで毎朝工場へ。滞在最後の日、Tさんが工場のエンジニアと一緒にステーキや連れて行ってくれ、そこで初めてTボーンを食べる。ヒレとサーロインを一緒に食べられるのでお勧めですよ、との言葉に従ったけど、量的に厳しかった。一人が休日でも工場へ行ったので2人でフィラデルフィアの博物館へ見学に、ロッキーの映画に出てくる階段を昇りました。ホテルまでは徒歩で、途中にロダンの美術館があったけどホテルまでは結構な距離。ホテル近くのピザ屋に行って昼食、オーダーの仕方が良く分からず挽肉が沢山載ったピザを食べることに。フィラデルフィアからは飛行機でニューヨーク経由で帰国。欧州駐在の彼は大西洋を渡って帰ったのでケネディー空港でさよならだった。ターミナルの移動にバスに乗りました。アナウンスが日本語じゃないので(当たり前)大変、日本の飛行機に乗って日本語で話しかけられるととても嬉しい。
冬場に東河岸の北部に行ったのでロブスターを沢山頂きました。ボストンではバケツに入ったアサリを頂いて多すぎと感嘆。何処かで、「エンペラーの葬儀だけど日本にいなくて良いの?」と言われたのを覚えてます。そういう年でした。ボストンの街を彷徨ったことはまた後で。

2007年9月7日金曜日

シシリーキャンデー?

以前のことを想い出し、思い出のサンフランシスコ。うたの題名みたいです。初めて行ったのは経由地として、時差解消と称して町中を歩き回りました。ケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフからアルカトラズ島へ、昔の刑務所が観光スポットになっていて、海を見ると泳げそうな感じです。でも話では海流が複雑でとても脱走は出来ない事になってます。朝到着して夕方の飛行機で目的地に飛びましたからのんびり観光とは行きませんでした、このときは。気候も良いし食べ物も美味しいので米国ではなかなか良いところで、気に入ったので何度か訪ねました。西へ西へと移動した人たちの理由の一つかも知れません。
ゴールデンゲートブリッジを渡って街の北側、セコイアの森林があります。映画ジュラシックパークの雰囲気の森です。ここでセコイアの盆栽セット(みたいなもの)を販売していて木片を水に浸しておくと芽が出て育つそうです。日本に持ち帰ったのですが水に浸しても芽は出ませんでした。包装の注意書きを見たら賞味(?)期限が切れていました。せっかく持ってきたのに、残念。街の南にサンノゼがあります。日本人の入植者が居たそうで日本食もどきが結構美味しく食べれました。ビーフボール(牛丼です)の吉野家も有ったし、ラーメンも食べられる水準でした。
街の東方大分離れてますがヨセミテ公園が有ります。途中風力発電の風車が群生していたり、川沿いに上がって行き公園へ。ここもセコイアの森林が観光スポットになっています。昔馬車が通るために穴を開けた木が有りました。今は自然保護のためにそんなことは出来ないそうです。貸し自転車で辺りを散策。大きな松ぼっくりを拾って宝物に。車でロスまで移動したのですがヨセミテの隣にあるマリポサグローブという所で一泊。途中の寿司屋で食事、記憶では米国一の味だった様な。
サンフランシスコの町中のチャイナタウンを抜けて連れ行かれたイタリア料理屋。食べたもので記憶にあるのはシシリアンキャンディー、正しい名称か確かめて居ません。連れて行ってくれた米国人がそう呼んでいたので。要するにニンニクの唐揚げです。味は良いのですが臭いが強烈でしばらくショックが続きました。
ホテルのそばのステーキ屋、肉のサンプル(本物)をラップに包んで客に見せる、これを焼きますよって。どれも大きい、10年近く前だから食べれたけど。今あの量は無理かな。
フィッシャーマンズワーフには魚介類を食べに。レストランに入ったりしたけど、港の立ち食いで食べた蟹が一番だったと思う、ただし日本の感覚から言うとちょっと生臭い。腐ってはいないけど。小さな店が沢山集まっていてゆでた蟹とか牡蛎とかを売ってる。それを買って側の公園みたいな所でかぶりつくんです。多分あれはワタリガニの種類かな。TVCMで一時やってた”サンフランシスコのチャイナタウンの飲茶”を目指したんですが結局ありつけず、です。日本人には味が濃い、やはり香港の中華の方が美味しい。
映画ブリットでマックイーンが爆走したくねくね坂道を車で走行、花壇に花が綺麗でした。でもムスタングでは無くミニバンだったのでだいぶ雰囲気は減。
記憶をたどると米国の入り口としてはサンフランシスコを使ってますが、そこから何処かに移動しているのでサンフランシスコから帰国したことは無いんです。ニューヨークに行ったり、シカゴに行ったり、ヨーロッパに渡ったりしたけど、同じ州から帰国したのはロスからです。
まだまだ続きが有るけどまた別の話題で。。

2007年9月2日日曜日

陶器は長持ち

陶器は長持ちします
s52年の春、就職で引っ越しました。それまでは中野に住んでました。そのころ使っていたお皿とスープボールをまだ使っています。大きさも手頃だし、柄も気に入ってるので。名古屋から来ていた人のお父さんが輸入雑貨を扱っているとかで、もらったものです。その人は学校を卒業したあと司書になるために東京で勉強していると聞きました。西荻のアパートに住んでいました、何度か訪ねたことがあります。隣が有馬頼義(作家)の邸宅と言ってました。読んだこと無いけど。この食器s50年より前からズーッと使っています。30年以上使い続けているんですから丈夫ですね。千年以上経った陶器がお宝番組に出てきますが何処かに埋もれていたんでしょう、使ったらそんなには持ちませんよね。
同じ頃購入した砥石もまだ使っています。初めて購入した包丁と一緒に買った物です、確かブロードウエイを出たところにある金物屋でした。包丁は研ぐたびに減って、何代目かですが砥石の方は大して減らずに保ってます。