2007年10月5日金曜日

ライブロブスター

昭和64年(平成1年)の2月、米国東部海岸地帯に見学旅行に行きました。久しぶりの海外でしたから随分大荷物で成田からニューヨークへ。それより以前シカゴに行ったときは747の航続距離が足りずにシアトルで休憩・給油でしたから進歩するもんです。途中でオーロラが見えますと言われて窓の外を見たのですが、写真で見るようなカーテン状では無かったのでハッキリ認識は出来ませんでした。欧州から一人この旅に参加、週末ニューヨークへ集合し週初めにラガーディアから飛行機で現地へ。酒好きが一人同行で成田で寝酒のウイスキーを仕入れ私にも買えと依頼。免税は一人2本までだったので。ニューヨークでの宿泊はヒルトン、私の荷物が大きすぎるからと同行の上司からバッグを借りて大荷物はホテルに預けました。ニューヨークに着いた当夜、まず日本食。当時は若かったので「何故?みたいな」感じでしたが、その後の事を考えて食べられる時に日本食、良く理解できます。ローカルな飛行機に乗ったので手荷物を小さくしたのは正解。
メイン州ケネバンクに飛行機が到着。米国人Aが業者訪問をサポートしてくれました。ドライバーは彼で助手席でナビは上司、あのころはカーナビなんて有りませんでした。後部座席に3人乗って珍(?)道中の始まりです。民宿みたいなホテルに宿泊、付属のレストランでメインライブロブスターを食べました。風呂に湯を貼っているときに洗濯ものがバスタブの排水口に詰まって水浸しに。バスタオルで始末しましたが古い建物でバスタブが絨毯に置いてあるんです。後始末大変でしたが誰かを呼ぶのも嫌で・・。ロブスターの事に戻りますが、付け汁は溶かしバターのみ、その後渡米に際してはポン酢を持参するようになりました。近所にブッシュさんの別荘があり記念撮影。4社ほど回って再度ニューヨークへ。鴨、ロブスター、アサリの後で日本食に連れ行ってくれたときはホットしたけど、これが日本食っていう感じで、でも口がバカになっていて寿司は美味でした。
戻ったニューヨークで観光へりコプターに乗りました。国連ビル>中華街で食事>何処かの教会>バーガーキング>貿易センタービル>ホテルまでの帰路地下鉄に乗ろうと言いましたが噂だと怖いのでタクシーで、ロックフェラービルの下のスケートリンクを見ながらステーキを食べたのを覚えてます(私はNYカットを頂きました)。このときバーガーキングでワッパを食べたことは既に書きました。案内しくれた米国人のオフィスを訪問、昼食を近所のレストランで頂きましたけど何を食べたのか覚えていません。同行した米国人に綺麗な日本語だねと褒められた(?)のを記憶してます。自分ではなまっていると思うのですが。
週末を過ごしてから電車でフィラデルフィアへ。フィラデルフィアの駅へ米国人Nが迎えに、日本食を食べさせてくれるレストランを探して彷徨。「meijien(明治園)」という一寸高級なレストランへ川沿いの店で橋の照明が綺麗でした。初めてソフトシェルクラブの唐揚げを食べました。でも日本食では有りませんね。フィラデルフィアではシェラトンに宿泊しレンタカーで毎朝工場へ。滞在最後の日、Tさんが工場のエンジニアと一緒にステーキや連れて行ってくれ、そこで初めてTボーンを食べる。ヒレとサーロインを一緒に食べられるのでお勧めですよ、との言葉に従ったけど、量的に厳しかった。一人が休日でも工場へ行ったので2人でフィラデルフィアの博物館へ見学に、ロッキーの映画に出てくる階段を昇りました。ホテルまでは徒歩で、途中にロダンの美術館があったけどホテルまでは結構な距離。ホテル近くのピザ屋に行って昼食、オーダーの仕方が良く分からず挽肉が沢山載ったピザを食べることに。フィラデルフィアからは飛行機でニューヨーク経由で帰国。欧州駐在の彼は大西洋を渡って帰ったのでケネディー空港でさよならだった。ターミナルの移動にバスに乗りました。アナウンスが日本語じゃないので(当たり前)大変、日本の飛行機に乗って日本語で話しかけられるととても嬉しい。
冬場に東河岸の北部に行ったのでロブスターを沢山頂きました。ボストンではバケツに入ったアサリを頂いて多すぎと感嘆。何処かで、「エンペラーの葬儀だけど日本にいなくて良いの?」と言われたのを覚えてます。そういう年でした。ボストンの街を彷徨ったことはまた後で。