2007年9月7日金曜日

シシリーキャンデー?

以前のことを想い出し、思い出のサンフランシスコ。うたの題名みたいです。初めて行ったのは経由地として、時差解消と称して町中を歩き回りました。ケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフからアルカトラズ島へ、昔の刑務所が観光スポットになっていて、海を見ると泳げそうな感じです。でも話では海流が複雑でとても脱走は出来ない事になってます。朝到着して夕方の飛行機で目的地に飛びましたからのんびり観光とは行きませんでした、このときは。気候も良いし食べ物も美味しいので米国ではなかなか良いところで、気に入ったので何度か訪ねました。西へ西へと移動した人たちの理由の一つかも知れません。
ゴールデンゲートブリッジを渡って街の北側、セコイアの森林があります。映画ジュラシックパークの雰囲気の森です。ここでセコイアの盆栽セット(みたいなもの)を販売していて木片を水に浸しておくと芽が出て育つそうです。日本に持ち帰ったのですが水に浸しても芽は出ませんでした。包装の注意書きを見たら賞味(?)期限が切れていました。せっかく持ってきたのに、残念。街の南にサンノゼがあります。日本人の入植者が居たそうで日本食もどきが結構美味しく食べれました。ビーフボール(牛丼です)の吉野家も有ったし、ラーメンも食べられる水準でした。
街の東方大分離れてますがヨセミテ公園が有ります。途中風力発電の風車が群生していたり、川沿いに上がって行き公園へ。ここもセコイアの森林が観光スポットになっています。昔馬車が通るために穴を開けた木が有りました。今は自然保護のためにそんなことは出来ないそうです。貸し自転車で辺りを散策。大きな松ぼっくりを拾って宝物に。車でロスまで移動したのですがヨセミテの隣にあるマリポサグローブという所で一泊。途中の寿司屋で食事、記憶では米国一の味だった様な。
サンフランシスコの町中のチャイナタウンを抜けて連れ行かれたイタリア料理屋。食べたもので記憶にあるのはシシリアンキャンディー、正しい名称か確かめて居ません。連れて行ってくれた米国人がそう呼んでいたので。要するにニンニクの唐揚げです。味は良いのですが臭いが強烈でしばらくショックが続きました。
ホテルのそばのステーキ屋、肉のサンプル(本物)をラップに包んで客に見せる、これを焼きますよって。どれも大きい、10年近く前だから食べれたけど。今あの量は無理かな。
フィッシャーマンズワーフには魚介類を食べに。レストランに入ったりしたけど、港の立ち食いで食べた蟹が一番だったと思う、ただし日本の感覚から言うとちょっと生臭い。腐ってはいないけど。小さな店が沢山集まっていてゆでた蟹とか牡蛎とかを売ってる。それを買って側の公園みたいな所でかぶりつくんです。多分あれはワタリガニの種類かな。TVCMで一時やってた”サンフランシスコのチャイナタウンの飲茶”を目指したんですが結局ありつけず、です。日本人には味が濃い、やはり香港の中華の方が美味しい。
映画ブリットでマックイーンが爆走したくねくね坂道を車で走行、花壇に花が綺麗でした。でもムスタングでは無くミニバンだったのでだいぶ雰囲気は減。
記憶をたどると米国の入り口としてはサンフランシスコを使ってますが、そこから何処かに移動しているのでサンフランシスコから帰国したことは無いんです。ニューヨークに行ったり、シカゴに行ったり、ヨーロッパに渡ったりしたけど、同じ州から帰国したのはロスからです。
まだまだ続きが有るけどまた別の話題で。。

2007年9月2日日曜日

陶器は長持ち

陶器は長持ちします
s52年の春、就職で引っ越しました。それまでは中野に住んでました。そのころ使っていたお皿とスープボールをまだ使っています。大きさも手頃だし、柄も気に入ってるので。名古屋から来ていた人のお父さんが輸入雑貨を扱っているとかで、もらったものです。その人は学校を卒業したあと司書になるために東京で勉強していると聞きました。西荻のアパートに住んでいました、何度か訪ねたことがあります。隣が有馬頼義(作家)の邸宅と言ってました。読んだこと無いけど。この食器s50年より前からズーッと使っています。30年以上使い続けているんですから丈夫ですね。千年以上経った陶器がお宝番組に出てきますが何処かに埋もれていたんでしょう、使ったらそんなには持ちませんよね。
同じ頃購入した砥石もまだ使っています。初めて購入した包丁と一緒に買った物です、確かブロードウエイを出たところにある金物屋でした。包丁は研ぐたびに減って、何代目かですが砥石の方は大して減らずに保ってます。