2008年4月1日火曜日

無料ダウンロードの行方

最近脚光を浴びる機会が多い無料ダウンロードに対して疑問が有る。収入は広告らしいがホントにそれで商売が成り立つのか不思議で仕方がない。広告とは何かを売るための情報提供だから何かを売って料金を回収しなければ広告費が捻出できない。この売って料金を回収すると言う基本的な行為を他社に依存して広告だけで商売を成り立たせるのはマスコミの基本形体の一つだからそれはそれで良いのだが、この行為だけが商売の根幹に有るような企業ばかりで世界が成りたっていくのだろうか。世の中が広告代理店+出版社ばかりになったら、物を作ると言う行為が軽んぜられる様に思え心配になる。更にどこそこが安いとかあの製品は扱いやすいみたいな情報が氾濫してその真異は確かめようがないと言うのはまことに危険きわまりない。こういう時代風潮のなかでも良いと思う物を生産しようと努力している人たちもいる、分かり易いのでマスコミに現れるのは農業が目立つが中小の企業にもその芽は有るようだ。心配なのは大企業と呼ばれる株式上場企業で、そこで働く人たちの姿勢は良い物を安く速くだが、上場株式のことを考えると先ずは会社間の競争が優先されるので短期優先の商品開発が行われることがあり、必ずしも会社の長期安定を考慮した物とは限らない。両者(短期、長期)のいいとこ取りを目指したところは大抵失敗する。これしか無いみたいなことを念仏の様に唱えて導いてくれるトップがいると不思議に会社は動いていく。何しろ図体がでかいから動き出すのや曲がるのに時間が掛かる。それをじっと堪えて機会を待てるのもトップの素養の一つの様だ。

で無料ダウンロードに話題を戻すが、音楽、映画、書籍は元々が実態の無い物(入れ物には価値は無い)だからネットと非常に親和性が高い。記録媒体をユーザーが選択できるのは当たり前のような気がするがiPodの盛況をみると便利さが優先されるようだ。日本市場でアップルよりも先行していたネット音楽販売はユーザーの利便よりも既得権益を優先したため淘汰されそうだが今後の対応がどうなるか、アップルの盛況を指をくわえてみていることも無いと思っている。とにかくコンテンツのダウンロードを広告収入で運営していくのは現在の世の仕組みにはそぐわない。検索ビジネスがもてはやされているがみんながグーグルになったら世の中から実態が無くなり、いくら美味しそうなご飯の絵を見ても満腹にはならないことに気付くはずだ。グーグル曰くのあらゆる情報を整理したいが本当なら(多分本音だと思っているが)早晩ビジネスシーンからは去っていくだろう。人の営みが続く限り整理する情報には困らないだろうからやることは果てしがない。情報だけでなくエントロピーは増える方向にしか動いて行かないからだ。今ビジネスシーンと書いたのは実は裏があり、Unixの成功を考えれば分かることだが世の中が必要と認めた物は世の中に生き残ると言うことだ。グーグルを愛用しているがこれはこれでまことに便利で重宝しておりこれが無いネット環境は考えられない位に必需品に成っている。と言うことは広告収入が途絶えてもグーグルは生き残るのだろうし、グーグルと言う名の集金マシンは何時までも続かないとは思うが検索が必需品の座から降りることは当面無いであろう。

また話題が曲がってしまったので話を戻す。コンテンツの流布権利と課金システムを上手く結びつけたところがコンテンツビジネスの旨い汁を吸うことになる。コンテンツの所有者か否かは別の話だ。

マグロ

インドとパキスタンとバングラディシュの人口を足すと中国より多いんです。
パキスタンとバングラディシュはヒンズーの国インドから東西にイスラムが分離した国です。
独立以前のインドがそのまま有ったら中国を抜いて人口世界一になっていました。
もっとも一人っ子政策を中国がとらなかったら順位は変わらないかもですね。
中国とインドにマグロを食い尽くされそうで心配なこのごろです。
(そのときは青魚を食べれば良いかと・・でも冷凍技術が進歩しているからサンマもアジも持って行かれそう)
電話オペレーターの業務をインドに依託できない様な法政を米国でと言う話を聞きました。
魚は電話線では運べないけど通話は何処と話してるかわからないですものね。