2008年11月18日火曜日

EDP室

学生だった頃、電子計算機は空調の効いた部屋に据え付けられていました。
テレタイプを使ってプログラムを紙テープにさん孔して、そのプログラムを計算機の紙テープリーダーにかけて動かします。そのころフォートランを使ってプログラムを作りました。どんなプログラムを作ったのか覚えていませんがグリーンの紙テープを持ち歩いたのだけ覚えています。
しばらくして、雑誌記事で8008を見かける様になりました。CPUを74シリーズで作る記事を読み早速私もと、1kbitのSRAMを使いおもちゃを作りました。8bitCPU、バスはシリアル、入力はトグルSW、出力はLED。電源を切るとプログラムが消えるので、遊んだのは動作試験ぐらいでした。
勤め人になって計算機からは縁が無くなりました。会社には計算機が導入されEDP室と呼ばれた部屋に鎮座していました。このころNECがTK80を出して、マイコンブームが到来。それでもまだ仕事に使える物では有りませんでした。Z80を使って、S100バスのユニバーサル基板にCPUボードを手配線しました。外部記憶はカセットテープ、キーボードとグリーンディスプレー、ドットインパクトプリンターは市販品。小遣いのほとんどはこの趣味に消えました。このころはDOSと言う概念に至らず、自家製のモニターをUVEPROMに焼いて使っていました。8080用のパスカルの記事を見て移植し、いろいろゲームを作って楽しんでいました。
なので仕事にもZ80を使ってマイコンボードを作り、CPMの動くパソコンでプログラムを作っていました。5インチのFDで512Kでした。今みたいにWIN一色ではなく、機種ごとメーカーごとにOSを用意して、外部記憶もばらばら。
そうこうしているうちにPC98が発売されました。
VAX11が入って来ました。OSもエディターも使い慣れず、ソフトを作る事は有りませんでした。12インチのハードディスクが2台ついていて一台512Mの容量です。このころはパソコンにもHDがつき始めた頃ですが5インチで10Mとか信じられない小ささです。
DOSVからの進捗はすごい、としか言えません。仕事に使える様になったのはWIN95からです、あのころはクロックが200Mですごいなと、驚いたのが12年前、10年足らずでクロックもメモリーも外部記憶も10倍以上になりました。その割には遅いなと感じます。
SWオンで3秒でブラウザーが動き始める端末が欲しいです。5万円PCで騒いでますが、今の使い方を考えるとUSBと無線ランが付いていて3万円位で作ってくれないかなあと思います。メールもワープロも表計算もグーグルのサービスで十分だから。プログラミングは別にしてですが。。