2007年3月29日木曜日

おめでとう

もう一回おめでとうです。同期じゃないけど同い年で私より大分先に会社に入っていた方で私が年の割には安月給なのを気にかけてくれ、そのころ組合の幹部をやっていたので年相応の給料が貰えるように骨を折ってくれました。何代か前の社長と折り合いが悪く飛び出した形で別会社の社長をやってました。そのかたが今度工場の社長になるとか。交代の理由はよく分かりませんが、まあおめでとうです。現社長に交代理由を聞いてみようかと思いましたが止めました。物言えば唇寂し・・になっては困りますから。サラリーマン社長は気楽ですが大変です。

2007年3月28日水曜日

here we go!

ず~っと以前、初めてアメリカに出張したときのピザハットでのこと。ピザを持ってきたウエートレスがピザを置いて "here we go!"のかけ声今思えば「へい!お待ち」みたいなもんかと思います。同僚と二人で”へーー”っと感心しきり。その話をしたら名刺をトランプみたいに配って同じかけ声をしていたよ、とのこと。中西部では普通なのかな。それとお店で最初に言われるのが"may I help you?"だけど、後で聞いたら英国では"can I help you?"だそうです。そのころはまだ日本に直接電話ができずオペレーターを通さないと接続出来ませんでした。だから日本に電話がしたいときは"I would like to call Japan, over sea call serives please"と下手な英語でお願いしていました、その後呼び出したい番号を告げるんですがオペレーターによって質問の言葉が違うんです。どきどきモンでした。下手な英語の話題は一杯有りますが、マックのドライブスルーで注文の品が出てくれば合格なんて話を聞きましたが、ついにマックのドライブスルーには挑戦しませんでした。マックのカウンターで注文しようとしたら色々聞かれて、パテ以外の野菜の種類とかソースの事とかを聞いていたんですがよく分からず、日本のマックじゃ聞かれないなあ、とやはり感心。一応頼んだクオーターパウンダーが食べられたから良かった。最近の日本のマックじゃ見かけないけど米国のマックなら有るのかしら、クオーターパウンダー。その数年後フィラデルフィアに行ったときマックに入ったら黒人の小学生(だと思う)が店員をやっていて私のつたない英語が通じずホットチョコレートを頼むのに苦労しました。とにかく子供相手の会話は大変です、相手が分かろうと努力してくれない事が多いから。あのころは70マイル離れた都会に行かないと日本食材もないし日本食と言っても”べにはな”位しか有りませんでした。その後寿司屋ができてさすがインディ500の開催地は都会だなと思っていましたが、2001年からはいつも泊まるホテルの近くに寿司屋が店を出しました。9/11のテロの余波で開店が遅れましたが、ラーメンも食べられるのが結構感激です。米国で食べた寿司で旨いなあと思ったのはヨセミテの帰りに寄った所です。海外にいるときは舌が麻痺してるので正確な判断は出来ないかも知れませんが・・。日本人なのでニューヨーク・フィラデルフィア・シカゴ・インディアナポリス・アトランタ・サンフランシスコ・ロサンジェルス何処に行っても寿司屋(日本食屋さん)に入ります。まだまだローカルなところではボストン・ユージン・デトロイトなんかにも行きました。でもまともなラーメンに巡り会えたのはニューヨークだけです、それがなんと菊蔵ラーメンですけど。NYで食べると美味しい。1990年代後半からです何処に行っても寿司が食べれるようになったのは、ホントに日本食ブームに感謝。

2007年3月26日月曜日

ピザ

2年ぶりに三軒茶屋へ行き流行のピザ屋へ。名前はサルバトール・クオモ、店内にデーンと焼き釜が据えてあり経営者?がピザの世界大会で優勝したと娘が言ってました。食べたのは、定番のマルゲリータ、生ハムとクレソン、二枚ともミドルサイズです。一寸不足だったのでシラスとアサリ、これはスモール。トマトサラダとコーヒー2杯で6千円+ですからお手軽とは言えない値段です。これで宅配がメインとは思えない値付けですが、オーダーを取ってから延ばし始めるピザ生地は美味しかった、もちろんトマトソースも、それにオリーブオイルが良いのかも。駅からの距離が結構ある(1km位)ので気軽に寄れる場所では有りません。車をキャロットタワーに止めたので帰りはタクシーに乗ってしまいました。ワンメーターですけどね。行きは迷いながらだったけど帰り道は分かっているので歩いても良かったのですが、予定時間を過ぎていたのでと言うのも言い訳の一つです。何しろ静岡まで帰らなければいけないのが大変。。静岡に開店したパルコにも出店しているので今度行ってみようかなと言う気になる味でした。

2007年3月9日金曜日

おめでとう

イントラネットで社長交代の記事が出ていました。同期からCEOが出たので一寸だけ感激。新入社員の研修しか接点は有りませんが研修の終了後、(多分入社式後のパーティの後で)彼のアパートを訪ねたことを想い出しました。私のアパートへの帰り道に住んでいたので良く行ったラーメン屋や食堂で会っていたかも知れません。30年近く前の事ですから汚いし暗いのが印象に残っている位です。ディスコに行った後で訊ねた記憶が有ります。研修で仲良くなった娘が一緒でした。お暇したのは朝方です、一眠りするためにその娘を連れて私のアパートへ行きました。そのころは一緒に住んでいた子が就職で実家に返り私も就職で何処に行くか分からずの状況でした。そのアパートを引き払うかどうかもその日に決まったはずです、記憶に無いけど、入社式で配属が発表されるから。で、その子の写真を柱にピン留めしていましたがいたのですが、一眠りする前にその娘が写真を裏返したことを覚えてます。一寸だけ悩んだのですけど結局一つの布団で何も無しに眠りました。その娘が眠れたかどうかは分かりません。午前中に起き出して喫茶店のモーニングサービスで朝飯を食べてから別れました。変な誤解されると困るから誰にも内緒で、と言うのがその娘の希望でした。で誰にも言いませんでしたがもう時効だろうから良いですよね。50名近い男女が2週間位寝起きを共にしていたんだから色々あったと思います。結局私は何も有りませんでしたが色々な人が居ることが分かったのは大変役に立ちました。

2007年3月2日金曜日

訪問者

先週来た彼が再度訪問されました。私より年上で随分以前に脱サラして一人で翻訳会社をやっています。初めて合ったのは20年以上前です。米国人に技術説明をするため彼のお世話になりました。その後辞書を片手に説明するようになりましたが最初の頃は通訳をお願いしたわけです。ただ自分が納得しないと訳さないので時間が掛かりました。何回か繰り返す頃には説明より通訳が先んじる事もあり楽と言えば楽をしていました。元々は化学やさんで技術者ですから妙に理屈っぽいっです。翻訳支援ソフトを作ったので見てと言って説明書を持ってきました。ビジュアルベーシックで作ったそうで、なかなかの大作です。ワード等々のテキストを抜き出して以前の翻訳文と比較照合して類似があると選定するソフトです。データベースが溜まらないと役に立ちませんが一度使い始めれば加速度的に翻訳例が溜まるでしょうから、役に立ちそうです。彼曰く、翻訳の30%以上は以前の物が使えるので楽になりますよ、との事。実際に使用していないので詳評は控えますが、開発者の人物を考えると使えそうです。このままではもったいないから販売したらと言っておきました。本人もその気があるようで、一応特許申請をしたそうです。