2012年9月23日日曜日

言いたいこと

言っても誰も聞いていなければ、言わないのと一緒だと思いますが、どうしても言いたいことがあると、誰も聞いていなくても良いや、と割り切って。

尖閣問題で話題から消えそうですが、まずは原発から。原発ゼロで騒でいる賛否どちらの気持ちも分かります。でも目指すべきは原発ゼロで、もっと安全な原発が本当の目標になるべきです。
原発はそのコンセプトから発電所には不向きです。単独で止まれないなんてブレーキの無い自動車みたいなものは動かすのは怖いでしょう。電源(発電所)が電源喪失でトラブル、なんて設計の発想が間違えています。なぜこんなコンセプトで作ったのか不思議です。何かしらの大切な理由があったんでしょうけれど、たぶんもう無意味になったことでしょう。だから現状に見合ったコンセプトで再設計すべきです。半世紀前の設計を大切にすることも重要ですが、現状に見合った改善もさらに重要です。水をかぶっても安全なものくらい作れます。技術はトレードオフの集成で何が重要かを決めるのは政治です。ポピュリズムに陥った政治は期待薄です。事業仕分けはいい例です。
核反応が究極のエネルギー源であることは変わりません。風力も地熱も地球を出れば使え無いし太陽光も届く範囲は限られます。深宇宙でも深海でも遠出をするには核反応炉しかなさそうな気がします。とにかく新原発が話題にもならないのが現状の閉塞を象徴しています。

もうひとつは垂直離着陸輸送機の話題。滑走路の要らない飛行機械はとても有用です。軍事用途としてしか考えないのが進歩を阻害しています。運転が難しそうなのは生物としての人間に由来しています。目が左右に有って視差を利用して距離を目測する。水平の動きには付いていけますが垂直のそれは苦手です。鳥を見ればその目は左右別々の視野を見ています。人の視覚能力はオスプレイを自由に操れるようには出来ていません。その能力欠如を補うような制御装置がついて初めて実用化するでしょう。設備としての欠陥の有無を議論しても水掛け論に終始します。これもコンセプトの問題になります。タクシー運転手がF1に出て事故を起こしても設計者は車が悪いとは言わないでしょう、ってことです。

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